記事を記述する度に、 「gentoo, gentoo!!」と喚いている気がします。
それほど心酔しているgentoo Linuxは、自分の性に合ってます。 gentoo Linuxがどういうものかとざっくり言えば
「基盤部分から、全てのソフトウェアを自分でコンパイルすることができるOS」
であります。 それってなにが嬉しいの?とも思いがちです。
「チューニングによってパフォーマンスを最大限引き出すことができる」
…というのがよく言われる、明確な利点です。
ですが、それよりなにより、ソースコードをさくっと引っ張ってこれるというのが便利なのです。
例えば、「あー、json読み込むCのライブラリがいるなー」といったとき。
eix -S json -A lib
とすると、ずらっといくつか候補をだしてくれます。
このときは、“json-c”というライブラリが良さそうでしたので、
emerge -pvDNu json-c
インストールに必要な依存関係を確認して…
sudo emerge vDNu json-c
インストール。
まぁ、この辺はyumやaptやrpm系でも可能です。 むしろgentooはここでコンパイラが走るので、物によってはだいぶ待たされます。
さて、ライブラリを使うにあたり、中身のソースコードがみたくなります。
cp /usr/portage/dist/json-c.*.*.* ./
tar xzf json-c.*
gentooはインストールしたバージョンのソースコードを保存してくれているので、$HOME以下に展開して眺めることができます。
当然、他のディストリでもソースコードを落とすことは可能ですが、パッチがあたりまくってたりするとその情報を収集するのに手間どってしまいます。
gentooはコンパイル手順(ソースの出所、必要な依存関係、パッチの有無なんか)をebuildファイルに記述して、/usr/portage 以下に保存してくれています。 それらを参照に必要なことがわかります。 それ以前に大概は“emerge”, “equery”, “eix”といったコマンドで済むことも多いのです。
これはいわば、食品に生産者や産地の記述が正確に記載されているようなもの、でしょうか。
……ちょっと言い過ぎかもしれません。他のディストリも利便性に配慮した工夫がこらされていますし。 品質が低いと貶めているような文言に聞こえてしまったら、それは意図するところではないです。
──続きます。
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